かぐたち

関係性オタクの徒然日記。

【noteから移行】仮面ライダー剣とホモソーシャル

(2020.10.29)


最近ホモソーシャルの話題を見かけて、「『仮面ライダー剣』って正直ホモソーシャルですよね…」と落ち込んだので一旦整理しようと思う。好きな作品でも問題点を纏めるのは大事な事だ。

そもそも「ホモソーシャル」をちゃんと理解していないし間違って解釈している所もあると思うので、遠慮なく指摘してください。

【注意】
橘朔也と上城睦月周りの人間関係を批判する内容があります。上記二名を否定されたくない人は読まないでください。


目次

導入

仮面ライダー剣の後期(31話〜)のOP『ELEMENTS』。大変人気のある曲だが、OP映像はメインライダー四人(剣崎一真、橘朔也、相川始、上城睦月)が拳を突き合わせるシーンから始まる。
拳を突き合わせる=男同士の友情の示唆と捉えるならば『剣』はホモソーシャルの物語と捉えられる。
実際、話の本筋は剣崎くんと始さんの友情物語なので…確かに「 男同士の友情」がメインの話です。


そもそもホモソーシャルとは?

ホモソーシャル (英: homosocial) とは、恋愛または性的な意味を持たない、同性間の結びつきや関係性を意味する社会学の用語。 友情や師弟関係、メンターシップ、その他がこれに該当する。 対義語であるヘテロソーシャルは異性との同様な関係を指す。
(出典:Wikipedia

ホモソーシャルってどういう意味? – "男性同士の絆"と"男性の生きづらさ"について|漫画でわかるLGBTQ+ / パレットーク https://note.com/palette_lgbtq/n/nef751beeeb21

要するに男同士の関係性を重視する風潮を指す。既存の男性像に含まれない男(可愛い物好き、女嫌い、同性愛者、無恋愛者etc)を除外したり、ミソジニー(女性蔑視)とホモフォビア(同性愛嫌悪)が含まれることが多いらしい。

一旦は「男同士の友情最高!女性との関係性なんて二の次!」な思想だと考えてみよう。

では『剣』のメインキャラ、剣崎一真と相川始から見ていこう。


剣崎一真と相川始周りの人間関係

本来は主人公の剣崎くんと、始さんでそれぞれ項目を分けるべきだろうが、物語の本軸がこの二人の関係性なので纏める事にした。

実はこの二人からホモソーシャルだな、女性蔑視だな、と感じたことは少ない。
それは、相川始が大切にする少女・栗原天音の存在が大きい。

『剣』は人間・剣崎一真と化物・相川始の友情物語だ。元々人間と化物、異なる二人は敵対し合っていたが剣崎一真は相川始の振る舞いを見て彼を信用しようと考え始める。
そのきっかけが栗原天音だ。



(書いたけど視聴済みの人には「あーはいはい」な内容なので※印まで飛ばして)
相川始が身を寄せるカフェ・ハカランダには栗原遥・天音母娘が暮らしており、相川始は母娘を守っていた。
剣崎一真や栗原遥の弟・白井虎太朗にはドライな対応をする青年が、この母娘の前では笑顔を見せる。特に栗原天音は相川始に懐いており、この化物と少女の関係性を好きな人も多いだろう。
戦闘本能に支配される化物が正体でも、栗原母娘を戦いから守る相川始。その振る舞いから、剣崎一真は理解し合えるのではないかと考え始める。
剣崎一真の信頼を受けた相川始は徐々に心を許していく。(山小屋介抱回とか自分の戦闘道具を貸してくれる回とか)
栗原天音を守り他の人間とも共闘する様子を見た剣崎一真は「たとえ化物でも彼もまた人間だ」と考え始めるのだ。
そして相川始の正体が、最後に生き残った場合地球が滅ぶジョーカーという最凶の化物だと判明しても、剣崎一真は彼を庇う。相川始もまた「人間」で、彼がいなくなれば悲しむ人…栗原天音がいるから。



※(ここまで飛んでね!)
…要するに剣崎一真と相川始の関係性は栗原天音ありき、ということ。二人の友情は始さんと天音ちゃんの疑似兄妹のような関係性を分断しない。
女性キャラありきだからホモソーシャルでもミソジニーでもない!という短絡思考。

( とはいえ剣崎くんは、始さん&天音ちゃんの絆を守るためというより、あくまで天音ちゃんを切っ掛けに人間に近付いた始さんを守るため、自己犠牲に走ったような……)

この二人はホモソーシャルじゃない!と感じた三例があるのでそれぞれ出してみよう。

たそがれ小説(剣崎&始の友情物語の立役者、メイン會川脚本)

年老いた栗原天音の元に相川始が訪れる話。時を経ても変わらぬ二人の穏やかな会話と関係性が描かれる。
この短編では剣崎一真…と思しき人物の話が二人の会話に出るだけ。あくまでメインは始&天音だ。

夏の劇場映画(平成一期恒例井上敏樹脚本)

剣崎一真が相川始を封印したIFルート。
この物語では、栗原天音は突然いなくなった始にショックを受けて成長後グレてしまう。始を封印した剣崎は責任を感じ天音を諭す。始との友情に報いるため、というより自らの責任を果たしているようだ。

ジオウ剣編(ジオウにおけるレジェンドの扱いに慣れてきた下山脚本)

相川始と剣崎一真を遭遇させたい敵の思惑により、栗原天音が利用されてしまう。天音の異常に気づいた始が現れ、その始の異常に気づいた剣崎が現れ…というエビで鯛を釣る話。
男二人を鉢合わせるため女性キャラを利用するんじゃねえ!…とツッコミたい所だが、この敵の策略はあまりにも合理的。最適解。正直これしかない。頭が良い。
最後は剣崎くんと始さん、始さんと天音ちゃんが笑え合えるようになって良かったね!な強制ハッピーエンド。ジオウは強制ハッピーエンドを生める唯一無二の舞台装置を持っているため、むしろ策略の始まりになった天音の存在は重要だ。


真逆に「いやこれホモソーシャルだろ!」と突っ込みたい例もある。

ドラマCD

本編後の話。意図的に感じるほど女性キャラのその後の話が出ない。天音ちゃんはどうした!?
皮肉なのは、この話の脚本家が女性(でBL脚本家らしい)点。…おう…

キャラクター文庫小説(サブ脚本家)

化物の始を拒絶する天音と、それにショックを受け剣崎に会いたいと願う始の描写がある。終盤の始→剣崎描写のために天音ちゃんの存在を蔑ろにするな……


とはいえ、全体的にこの二人の友情物語のため女性キャラを意図的に排している、と感じることは少ない。
剣崎一真の側にいるメインヒロイン・広瀬栞は独自のドラマを担っている点も一因だ。
あの最終回のため、剣崎からあえて恋愛色を無くしたのだろうか…?

(この二人の関係性はあまりにも「友情」が強調されるため、ホモフォビアはあるかもしれない…)


主人公から排した恋愛要素を担ったのが、残る二人・橘朔也と上城睦月だ。

【注意】
橘朔也と上城睦月周りの人間関係を批判する内容があります。






橘朔也

剣崎一真と上城睦月の先輩ライダーにあたるキャラクター。前半は彼を先輩と慕う剣崎とタッグを組んで化物と戦ったり、中盤以降は闇落ちする上城睦月を導いたりと、先輩としての役割を務める。
先輩後輩もホモソーシャルの一例だがそれはさておき。


問題は、彼の昔馴染みである女性キャラ・深沢小夜子の描かれ方だ。

序盤に迷走していた橘朔也を想い小夜子は言葉をかけるものの彼には届かない。その内敵に殺されてしまい、彼女の死に絶望した橘は覚醒して仇を討つ。
要するに橘が覚醒するきっかけでしかない。

小夜子自身の掘り下げも無く、ひたすらに橘の心配をしているだけ。その想いも届かず彼女は死んでようやく橘の役に立つ。その後も橘が小夜子を想う描写は少ない。
序盤で最も橘と絡みがあった女性キャラが強化素材扱いとは……ミソジニー……



これは前半脚本家の問題(仮面ライダーに慣れていない脚本家が書いたため、剣の前半は迷走ぶりで有名)だが
後半(剣崎&始の関係性の立役者)の脚本家でもミソジニーを思わせる関係性がある。


上城睦月

ヒーローごっこをしたい生半可な覚悟の少年が敵に利用され闇落ちし痛い目を見る枠。良くも悪くもごく普通の少年で、作中屈指の最悪な敵に利用され、周りの仲間たちの協力で光…正義側の存在に戻る展開だ。

彼周りの人間関係の問題点も橘朔也と同様だが、闇落ち期間が長すぎた弊害が大きい。


彼のガールフレンド・山中望美も小夜子と同じく、睦月の心配をするしかできない。望美にできることは「優しい睦月に戻って」と呼びかけるだけだ。

だが、睦月を心配する周りのキャラクター達が彼女の手助けをする。
嶋昇は異能力で彼女の声を睦月の心に直接届け、城光は「心配する彼女の元に戻れ」と自らを犠牲にして睦月の闇を晴らそうとする。先輩ライダーの橘朔也や剣崎一真も、彼女の想いを叶えようと奮闘する。(あの相川始も城光と同じような発言をしていたような…)
そして望美が体を張って睦月を止めることで、彼は闇を打倒できた。
睦月が光に戻るための最重要要素が望美なのだ。


闇落ち展開では心配する異性の愛で光に戻るのは王道中の王道だ。
その王道を私は「女性キャラは無力でただ呼びかけるだけなんて、女性蔑視では?」と嫌っているが、小夜子の例と比較すると格段にマシだろう。
睦月ありきのキャラクターとはいえ、一人のキャラクターとして機能している。




まとめ

仮面ライダー剣』のホモソーシャル要素について考えてみた。
「この作品はホモソーシャルではない」と否定できないしミソジニーもある。だが、脚本家によってはそう感じにくいように描き方を工夫しているようだ。

この作品は2004年1月〜2005年1月に約一年間放送された15年以上前の作品で、古い作品である点を考慮すれば脚本家の配慮は有難いものだ。子どもも大人と一緒に見る番組だからね…
現在の感性ではこの作品の全てを肯定できないが、変わり行く時代の中では致し方ないだろう。


大好きな作品が脚本家に恵まれたことを幸運に思う。



↓元記事
https://note.com/kagutachi01/n/n32bf47ab3936