かぐたち

関係性オタクの徒然日記。

舞台『魔界転生』再演 感想

2021.10.18


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2021.6に新歌舞伎座で観劇した感想+2021.10の1週間限定配信で見直した感想。

一回の観劇では感想が未熟だったので、配信を好機にちゃんと上げることにしました。
斜線部は観劇時の感想だが、見直し時にこれは無いなと削除したものをあえて残してます。

目次


役者の演技が上手すぎて感動しきった結果、話の殆どは物語の構成についてです。
役者の皆さんはどの演技も素晴らしい!!殺陣も最高!コロナ禍でキャストの人数が少ない中数を多く見せたり場面転換を凝らしたり、映像演出の発達ぶりにも驚いた。

ホームページによると初演は4時間→再演では3時間20分と公演時間は短縮。前回よりも大幅にコンパクト化されている。(ただし初演の記憶は朧げなので、どの部分が短縮されたか分からない…)

おおまかな感想(登場人物毎)

柳生十兵衛…普段のちゃらんぽらんぶりとシリアスの真剣さのギャップで風邪を引く格好いい男。ちゃらんぽらんってた長崎でも強過ぎる。一緒に配信を見ていた友人が上川さんに落ちたぐらい格好いい。キャラクター的には個別の項で。

天草四郎…初演は青と白の衣装、再演は赤と黒の衣装。再演の方はより悪の首領感が出ている。
顔小さい!声が可愛い!(転生して声音が低くなってからも)16歳だもんね〜癖っ毛が似合ってました。
首領なのに中間管理職の悲哀が…魔界衆はそれぞれが好き勝手に動くので首魁の天草四郎が全体的に不憫…がんばれ…天草四郎の辛辣な悪口(「毛無しジジイ」等)は生前の穏やかな印象とのギャップも相まって笑ってしまった。邪悪な嗤いも闇落ち感が出ててよきよきです。

柳生宗矩…眉を僅かに上げるだけで様になる。立ち居振る舞いは堂々たるもので、纏う空気が一人だけ違う。…真剣になった十兵衛を除いては。ラスト十兵衛と宗矩の相対のごとく、剣を極める者同士でしか纏えない真剣の空気感なんだろう。

淀殿…派手好き。宗矩との絡みが可愛い。大阪城攻めの恨み言を言いながらも程々に仲良くしてるのが不思議〜孫に甘い淀殿。(宗矩からすれば20年近く前の話なので感傷は無いんだろうな。)
舌出し宗矩に驚くシーンで、口をあんぐり大きく開けて驚くのではなく、口を窄めておののく姿は品が良く大変キュート。
真田幸村は妾が唯一恋した男子ぞ!」の台詞に大河ドラマ真田丸』を思い出したよ

お品…空手といい大根で戦おうとする姿といい、強くてかっこいい女性。「天草四郎の姉」だけど台詞から計算すると大体三十前後かな。淀殿との対峙は俳優と俳優の演技のぶつかり合い。一見の価値ありです。

根津甚八…今作の癒やし枠その一。殺陣が少なくて寂しいが、剣豪でもなく豊臣の血筋でもないために本作においては徹底した傍観者だ。
「無駄に長生きするもんじゃねえや」と嘆きつつ家臣としての役目を全うし、主君たる豊臣一族の末路を見守る辛い役どころ。だがラストには鍛冶屋になる生きる希望を見つけ、十兵衛からは「一人前の刀匠になったら〜」と夢を与えられた。これから長生きしてくれ〜。
「縁」を重視しており、柳生一門と別れるシーンやラストの宗矩の墓参りのシーンと二度「縁」を持ち出している。気持ちのいい人物。

柳生又十郎…顔ちっさ!!!!!!!良家の坊っちゃんで生真面目堅物な性格。恵まれた境遇+時代に合った質実剛健な人柄をしているのに(煙たがられても)嫌われないのは彼の人徳か。これは確かに太平の世向き。坊太郎との居合のシーンで、彼が剣を抜かなかったと知った時の愕然とした表情や素早く駆け寄る動きが大好きです!

田宮坊太郎…魔界衆のサイコ要素を持ってた登場人物。直前とは違う行動を取ることもザラ。
勝手な考察などは坊太郎と又十郎の項で。

荒木又右衛門…復讐するうちに弱くなっていた魔界衆の一人。死後転生した悲哀を抱えている、詳しくは魔界衆の項で。

宮本武蔵…今作の小物枠。実は配信を見る前に別の舞台『ムサシ』を見ていたのでより一層『ムサシ』の20年後の武蔵が立身出世第一になったら嫌だな…と思っていた。とはいえ一つの宮本武蔵像として興味深い!小物として描かれることは少ないので。
二天一流の二刀流殺陣が素敵。
転生しても宗矩はそのまま老人の見た目だが、武蔵は若返っている…彼の後悔が深い証か。

宝蔵院胤舜…転生後天草四郎曰く「毛無しジジイ」。毛が生えた途端に怖くなった。映画版はかなり狂気じみている。舞台版は天草四郎の言うことを聞いてるだけ魔界衆の中でもマシな方。
死亡→転生シーンの転換が早い!他の面々と比べれば鬘を被って顔にメイクを施すだけにしても、10秒ぐらいで登場してる。小道具さんの仕事がすごい。
胤舜を倒す代わりに五太夫が命を落とす展開から、魔界衆の残りを倒すためまさか味方が六人も死ななければならないのか…?と予測して軽く絶望したものだ。あの展開は上手い。

柳生門下3人組…愉快愉快な千八、五太夫、丈馬の門下生三人。千八は長くて、五太夫は朗らか、丈馬は頑固そう。十兵衛を「先生」と呼び慕っている様子が可愛らしい。

由比正雪…胡散臭いおっさんのはずが可愛いヒロインに見えてくる謎。
十兵衛に脅されてるシーンの由比正雪可愛過ぎません!?小動物のキュルンとした目をしてる!なにこの可哀想可愛い生き物は…………。魔界衆からはいじめられるし十兵衛にはグサグサ刺されるし、今作のヒロイン枠か!?

相変わらずギャグが面白い

公演時間カットの中でも、削除されてないだけあって洗練されたギャグの数々。抱腹絶倒!コンパクト化のお陰でギャグの鬱陶しさがなくなった。
「わらわの食べたい物〜」で堂島ロールを買いに行く淀君…。(配信だとTKG)私も堂島ロールが食べたくなる。地域ごとに寄ってご当地グルメを出してるのかな。
ギャグの中でもとりわけ、確か十兵衛によるうっせえわパロディと、エロイムエッサイム歌唱がすぐに終わったせいでキレる天草四郎が大好き。流行りネタとクールキャラ不憫いじりネタは面白い。
特に天草四郎の歌唱シーンはマイクを持ち出した時点で目が点になった。気持ちよく歌っていたのに、ノイズが走る→「うるさい!」→暗転する→「終わらせるな!」「最後まで歌わせろ!」と不憫な天草四郎天草四郎自体ギャグシーンが珍しかったので記憶に残ったシーン。
相変わらず下ネタは少々残っていた。立ちションシーンが消えていないことは前もって知っていたからうんざりすることも無く。40分短縮で殆どの下ネタは消えたが、それでも残っている立ちションネタに演出家か脚本家か誰かの変なこだわりを感じる…。
(2021.10追記)
配信見直しで初めて、魔界衆6人勢揃いを「ロイヤルストレートフラッシュ」と例えるためだけにわざわざ上へ登ってる十兵衛に気付いた。この一言のためだけに!流石ギャグに拘ってる〜!
十兵衛がお品を抱き留めるシーンで「ラブリンごめん…!」と謝っているのは何故だろうと不思議がっていたら、ラブリン=ナレーションの片岡愛之助さん=お品役藤原紀香さんの夫という事らしい。だから天に向かって言ってたのか。
中の人ネタで言えば「遺留捜査官?」も好き。上川さんが主役の遺留捜査官=テレビ朝日魔界転生のスポンサー=日本テレビ…そりゃ十兵衛が慌てて口を塞ごうとする訳だ。

初演から削除された?部分

・ギャグシーンのカット。初演は明るい冒険活劇の印象だったが、ギャグが減った再演は『魔界転生』らしい薄暗さも兼ね備えた印象に。
・登場人物が少なくなった(北条主税や天草四郎の小姓など)
・弟子が魔界衆に殺された静かに怒る十兵衛の冷徹さ。由比正雪を淡々と尋問するシーンで発揮されたが、物足りなかった(朧気な記憶が頼りなので、もともとはどうだっけ…)
・十兵衛が唱える「分からぬことはわからぬ!」荒木が無念の死を訴えた時に一度言ったきりで、最後に天草四郎相手に言い放つシーンが印象的。だが前回はもっとくどい程だった気がする。
・柳生親子の対峙。最後の決闘シーンが転生後初の邂逅。もっと色々なかったっけ?
・ライブシーンが追加されたような?
・十兵衛の妹、すずがいなくなった。(これはキャスト降板の影響)だがいなくても違和感なかった物悲しさ…いや、うまく成立させた脚本演出役者の皆さんがすごいのか?
だがラストシーン、旅立つ十兵衛を見送る柳生の人間は又十郎と丈馬で十分。強いて言うなら、最終決戦へ赴く柳生一門を見送り彼らの帰りを待つ人間は欲しかったので、すずの存在が必要なのはそのぐらいか?ただし尺の都合で削除もやむなし。

本筋は映画と変わらず

徳川幕府を転覆させようとする魔界衆
手段は平将門の怨霊の復活
魔界衆が幕府転覆を狙うのは映画版とも共通するが、将門公を利用するのは舞台オリジナル。
天草四郎が魔界衆の首魁で、他の魔界衆に宝蔵院胤舜宮本武蔵柳生宗矩は共通。紅一点枠は映画版だと細川ガラシャ、舞台版は淀殿。パンフのインタビュー曰く、舞台版は小説に合わせて魔界衆を7人に揃えているそうだ。

魔界衆の狙い、幕府転覆の野望に立ち向かう柳生一門。ただし柳生門下で慣れ親しんだ者達も魔界衆にいるため、主人公達は魔界衆に対して同情的になっており、「彼等が悪を為す様を見たくない」理由で戦っている。
幕府転覆を目論む敵側も一枚岩ではない。
生きている人間で転覆後の世を考える由比正雪VSただただこの世を滅ぼしたい死者の天草四郎達で、両者には大きな違いがある。
ただ単に野望を阻止すれば良い訳でも、生者が死者を倒せば良い訳でもない。勧善懲悪とは言えない物語だ。

本筋以外にも、キャラクター達それぞれの物語が存在する。

  • 剣(殺人剣)の道に生きる男たちの物語

柳生十兵衛柳生宗矩たち。
純粋に剣の道を追求する者(十兵衛、宗矩)もいれば、立身出世の野望(宮本武蔵)や暴力性に身を委ねる者(胤舜、荒木、坊太郎)もいる。
彼等については十兵衛の項、魔界衆の項で詳しく書く。

  • 豊臣にまつわる物語

天草四郎、お品、淀殿甚八
秀頼の血縁者達と、彼女達を見守る家臣・真田十勇士の生き残り。
天草四郎淀殿を「おばば様」と呼び、淀殿は秀頼の忘れ形見として慈しむ関係。(その割に「三郎」と名前を間違うが)
四郎はお品を純粋に姉として慕い、「私が生きていた姿を記憶に刻んで欲しい」とお品を逃がす。魔界衆に転生後もお品のクロスを見て甚八の殺害を止めるなど、想いは変わらぬ様子。お品の正体と自害を知った後は取り乱していた。
お品は淀殿を説得する際に、何度も秀頼の想いを強調している。「母君がくださった骨喰藤四郎は命より重いと語っていた」「秀頼様は誰も恨んでないとおっしゃられた」など。淀殿の泣き所を理解した策略なのか、それとも純粋に人情に訴えただけなのか。秀頼の母と妻が亡き秀頼公に思いを馳せる悲しいシーンだ。
甚八は今も豊臣に忠誠を誓っており、豊臣を討った柳生宗矩の息子達と行動を共にするのを拒絶するほど。魔性に変わり果てた淀殿の姿をいたわしく感じている。(当の淀殿真田十勇士だった甚八を覚えていないが)元々はお品に言い寄っていたように見えたが、その正体を知った後は主人の妻に接するように自害を手伝った。クリスチャンは自殺できないので…。初めは出島の女郎屋の主人だったが、奇しくも大坂の陣以来再び豊臣の臣下として、四郎・お品・淀殿の最期を看取り豊臣の終焉を見届けた。

  • 柳生門下生の絆

…又十郎、坊太郎、丈馬、五太夫、千八、(荒木、十兵衛)
又十郎と坊太郎のシーンが印象的。自暴自棄になる坊太郎を気に掛け続け、そして最後は「来世でも友となろう」と誓う又十郎。又十郎に絆され最後の居合で剣を抜けなかった坊太郎。朋友二人の美しい友情。
この二人が印象的だったお蔭で、丈馬や五太夫や千八も柳生門下生の括りだけではなく、一人のキャラクターとして認識できた。幕間直後の「五太夫って5番目って意味なのかな?」「じゃあ千八は千人兄弟がいる!?」などのやり取りが可愛い。柳生門下生たちが十兵衛の剣の才を純粋に尊敬している姿は眩しいほどだ。魔界転生した坊太郎や荒木も十兵衛との対決を執心し続けていた。
2018年初演のパンフを見ると、北条主税、坊太郎、又十郎の順番だったのに今回2021年再演のパンフでは主税がいなくなり又十郎、坊太郎の順番に変わっている。つまり北条主税の役割を又十郎が引き継いだ…?門下生の代表だった主税がいなくなったのは寂しいが、おかげで門下生が三人に減りキャラクターを把握しやすくなったのもまた事実。

主人公 柳生十兵衛

器の大きい主人公。この主人公のキャラクターは、パンフレットの脚本演出家や演じる上川さんのページに詳しく、ぜひ読んでもらいたい。上川さんが十兵衛への解釈を深めて役に取り組んでいると伝わってきた。

作中の誰よりも強く、そして誰よりも器の広い男。
ちゃらんぽらんの風来坊だが、その裏には太平の世には剣士の生きる場所は無いと理解した諦念が隠されているように見える。魔界衆への哀れみはちゃんと表に出しており、情に厚い。
柳生の役割を厭う割に家族への情も持っている。「可愛い弟を親殺しの親不孝者にはさせられまい」と自ら父殺しの宿命を背負うし、転生した父には初めて本心を出し「父上ともあろう人が魔物なんかに付け込まれやがって!それでも俺の父上か!」と心底怒ってみせた。
戸田五太夫が重傷を負うと同時に父の魔界転生を知らされた時も、父の死に動揺する又十郎と比べ、十兵衛は必死に戸田に呼びかけていた。十兵衛先生と名前を呼ぶ五太夫に「ここにおるぞ」と手をしっかと握ってやる献身的な姿には、誠実さと全てを受け入れる包容力が表れている。尊敬する父の裏切りに衝撃を受けているだろうに今目の前で死にかけている弟子のみに心を向けられる姿勢は常人では成しえないだろう。
キリスタンなのかと尋ねるお品さんに「俺はキリスタンでもその敵でもない。ただ哀れに思うばかりだ」と、理想的な言葉で返したのも印象的だ。

誰よりも強いため、坊太郎や荒木や宮本武蔵どころか父親からも狙われる羽目となった…。彼自身はこの凄まじい剣の腕を褒められたものではないと考えているだろうに。
だが今回柳生宗矩が転生したのは宮本武蔵の追い詰めがきっかけなので、完全に十兵衛が理由だった映画版と比べると、そこは十兵衛の負担が減った。剣の道より立身出世を優先した宮本武蔵は最盛期の宗矩より弱く、よって宗矩は自分に迫る強さの十兵衛と一騎討ちを望んだのではないか、と考える。
(2021.10追記)宮本武蔵が「俺に負けて悔しくは無いか?最盛期ならば勝てたと思わないか?」と追い詰めても魔界衆にはならなかった宗矩は、「十兵衛と戦いたくないか?」と問われて初めて首を縦に振る。追い詰め方が違うだけで、映画版も舞台版も、宗矩が魔界転生するのは十兵衛が原因だ…。十兵衛が天才剣士の才能を太平の世には向かないと悲観し隠し続けたばかりに、不満を感じていた父が転生する原因になるとは…皮肉な話。
宗矩が十兵衛と戦うために転生したと十兵衛自身が知るのは、宗矩の最期「羨ましかった」のセリフの時点が初めてだ。その時はかなりのショックを受けただろうに、宗矩から言われた「お前はからっぽだ」のセリフを前向きに捉え天草四郎も全員受け入れると言ってみせた十兵衛は本当に心の強い人間だ。

映画版と舞台版におけるキャラクターの違い。
映画版ではひたすら剣の道を極める男として描かれていたので現れる敵を斬っていった。だからラストで、剣士ではなく術士の天草四郎を斬り殺し切れずに終わったのではないか。
だが舞台版では器の広さが強調され、遂には剣士ではない天草四郎も己に仕舞い込むと言ってみせた。(これは次の項目のように、天草四郎がルーツを描かれるなど一人の少年として扱われている点も大きい。)「分からんことは分からん!」と己の上限を理解し達観したうえで、それでも相手に寄り添おうとする、完成された人間性を持つ主人公。

父親柳生宗矩が息子との対決を望んだのも、誰よりも強い剣士との決闘の側面もあれば、十兵衛という器の広い人間ならば人斬りの魔性と化した己を受け容れてくれる…と考えたのかもしれない。父親に「お前はからっぽだ、だから羨ましかった」と託されてもそれを受け入れた十兵衛は流石というか。
だが最後に十兵衛が一人旅立つシーンは、父親を始めとした剣豪と戦い彼等と天草四郎を受け容れる(追記・器の大きさは問題ではないので削除)殺人剣しか振るえぬ己はやはり太平の世に向く男ではないと、今回の戦いで改めて気づいてしまったのかもしれない。

舞台版天草四郎の「創作」に対する所感

(以下、超個人的な天草四郎への感想が入ります。あと否定的な話も。)

豊臣云々はあまり好きではないと、再演にして気付く。
天草四郎」はごく普通の青年が何故か民衆に担ぎ上げられ、神の子に仕立て上げられた点が好きらしい。なので宝塚花組公演『MESSIAH』も好きである。
特別な血筋だからカリスマ性に溢れる等は確かに説得力が増すものの私の好みではない。
それに豊臣云々のせいで、天草四郎が純粋に徳川の世を憎むようになった部分が薄まっているように感じる。親の敵討ちの側面が出ている。

ただし、お品という姉(本当は母親)や祖母に当たる淀殿を出すことで、魔物に転生しても人情溢れる魅力的な悪役になった。
人間としての情を残していたからこそ終盤に姉の死を知った四郎は悲しんだ。人間として生きた自分を覚えてくれる人がいなくなったこと、大切な人が誰もいなくなったことに絶望し、「この世を滅ぼす!」と本気で術を使う怒り狂った姿は哀れですらある。
複雑な生まれ育ちをし、悲劇に見舞われた1人の少年の姿が舞台版にはある。映画版のような悪の首魁ではなく、ただ一人の少年に見える。
若くして死んだ彼への憐れみが、その非業の死さえ包容しようとする十兵衛の器の大きさを際立たせている。

…その人間味を出す天草四郎も、映画版の圧倒的な闇落ちぶりと比べると物足りなく感じるのだけれど…。映画版を見て『魔界転生』という作品ならびに天草四郎の死後闇落ちを好きになったので。

総括・面倒なオタクですみません。

又十郎と坊太郎

坊太郎と又十郎の友情は特に刺さった関係性だ。友愛の物語や死別が趣味のオタクです!

坊太郎は魔界衆が殺される度に反応をしていた。胤舜の時は十兵衛に「殺してやる!」と怒り、淀殿の消滅を一番に気づいたのも彼であり、兄弟子の荒木が殺された時は強烈な悲鳴を上げていた。恐らく人一倍仲間意識が強い設定だと思われる。
それには彼の生まれた時から父の敵討ちを宿命付けられた生い立ちが関係しているのかもしれない。坊太郎は序盤に柳生門下で番付をしたら上位に食い込むと言われた程に強い腕前を持つ。その強さも敵討ちを果たすためであり、周りと違う目的に孤独感を募らせていたのかも…などと想像が膨らむ。もしかしたら真の仲間を欲していたのかもしれない。
だからこそ、又十郎から掛けられた「来世も友となろう」の言葉に絆されたのではないだろうか。それは今世で得られなかった、一番欲しかった存在だろうから。
無辜の民を殺戮する坊太郎に対し、ずっと「そなたを殺したくない」「心を入れ替えると誓ってくれ、ならばお前を見逃す」と説得し続けた又十郎の器も十兵衛とは別の方向で大きいものだろう。朋友を殺したくない甘ちゃん精神だけでは無いことは、己が殺されるかもしれない時に来世の契りを口に出せたシーンから見て取れる。それ程の決意を秘めていた事に他ならない。

魔物に転生すること

魔界転生におけるメインテーマの一つ。
生前は理性的・温和だった人々が魔物に転生した途端、理性を失ったように殺戮を行う恐怖。

特に柳生宗矩だ。生前は尊厳溢れる頼れる父としてあった宗矩が、転生後は無抵抗な人々を斬殺する様は、息子でなくとも胸が潰れる思いがする。

又十郎が朋友の坊太郎に「殺したくはない」「心を入れ換えると誓ってこの場を離れてくれないか」と嘆願する姿も物悲しい…。魔界衆を倒す側も、死んだ者達が生き返って嬉しくない筈ないのだ。ただ殺戮する彼等を放ってはおけないから殺すのだ。
(2021.10追記)竹林で由比正雪配下の者と握手していたかと思うと直後に斬り捨てる坊太郎の豹変ぶりは怖かった…

宮本武蔵は転生した結果地位にこだわる小物と成り果てる。そこにはかつて名声を轟かせた剣豪の姿はなく、ラスト十兵衛に斬られて彼の殺人剣を強調するだけの装置へ落ちぶれる。(2021.10追記)ラストの登場する魔界衆が荒木ではなく武蔵なのは、武蔵の凋落ぶりを表すためだろう。荒木でも問題は無いが、下記のような事情を思えば、荒木は戦いの中で剣士として終われて良かったと思う。
荒木又右衛門も同じく。女への復讐のため転生した彼は復讐に囚われ、かつて十兵衛と並ぶと謳われた剣の腕も衰える。誇りにしていただろう己の剣の腕を否定した女に対して復讐する内にそのアイデンティティを失うとは皮肉である。…だからこそ荒木を殺したのが同輩の十兵衛で良かった。

淀殿も記憶が錯乱し秀頼幼少期のように振る舞っている。四郎はおばば様としてお慕いするも、時折魔物の姿に戻りかける淀殿を見て「私もいずれは魔物になる(人間としての理性を失う)運命か」「いや、しれたことよ」と覚悟を呟いていた。魔界衆の首魁とその血縁者でこのやり取りをしたのは皮肉だ。(血縁が存在するのは人間のみであり、一度死した魔物には存在しない関係のため。)

(2021.10追記)
淀殿が消滅した原因を魔界衆があまり気にしないのは変では?
→原因を探ろうにも人手が足りなかったり情報集めに適した人材がいないのも理由の一つ。さらに、彼らは魔物化が進んでおり、理性や冷静な判断能力を喪失しているのでは…?

魔界衆との別れ

この舞台では、魔界衆と彼らを看取る人間という悲しいシーンが3種類存在する。
淀殿&お品、坊太郎&又十郎、宗矩&十兵衛。
だがそれぞれのシーンは人間が魔界衆を成仏させる方法や掛ける言葉が微妙に異なっている。

淀殿&お品は、剣豪ではない二人の女性に合わせて、思い出と情で切実に説き伏せている。そしてキリシタンのお品らしく「私もすぐそちらに参ります。」と、あの世での再会を誓う。(キリスト教は輪廻転生しない終末思想なので)そして姑と嫁という息子/夫の秀頼ありきな今生のみの関係性であることも、このセリフを使った理由だろう。

坊太郎&又十郎は、二人とも剣豪ではあるが、又十郎の言葉に絆された坊太郎が自ら斬られる事を望む。お品と同じく又十郎も言葉でもって魔界衆を終わらせるのだ。
既に書いたとおり又十郎は「来世でも友となろう。」との言葉を坊太郎へ掛ける。輪廻転生思想を持つ日本人らしいセリフだ。友という一対一の関係性なので来世の約束ができる。

宗矩&十兵衛は、言葉で諭した上二つとは大きく異なっている。剣豪である二人は語るべき言葉を持たず剣でもって相手を倒す。
正確にいえば十兵衛の方は宗矩を説得しようとするのだ。今までひた隠しにして来た本心を初めて出して「俺の父上ともあろう方が情けねえ!」と激情を吐露する。
だが遅すぎたのか、宗矩はその本心と向き合おうとはせず刀でもって語ろうとする。(その想いも詰まっているこのシーンの殺陣は見事なものだ。)刀で語り合う手段は、剣豪として十兵衛の本当の強さを知りたかった宗矩にとっては最適。ただし十兵衛にとっては求めたものでは無かっただろう。
宗矩以外のシーンでも、十兵衛は刀を使う方法でしか、殺す方法でしか魔界衆を倒せなかった。
お品や又十郎とは異なってしまったこの十兵衛の倒し方が、次項の「殺人剣」に繋がってくる。

殺人剣と活人剣

十兵衛が又十郎・甚八・丈馬と別れるラストシーンで出すのが「殺人剣と活人剣」だ。人を活かす活人剣は又十郎の剣、人を殺す殺人剣は十兵衛自身の剣だと語る。
この対比が正しいことは、前項で書いた魔界衆の終わらせ方を比較すれば一目瞭然だ。又十郎は坊太郎をその言葉で絆したが、十兵衛には宗矩と斬り合うしか道は無かった。
言葉で交渉し剣で決着をつける、又十郎の在り方は今後徳川太平の世に相応しい。だがただ斬るしかできない十兵衛の存在は太平の世に似つかわしくない。…己を異物と理解しているからこそ普段は本気で剣を振るわず昼行灯な振る舞いで太平の世に似つかわしい存在に擬態している。
そして十兵衛の項で書いたように、彼の強すぎる剣の才能に惹かれる魔界衆の剣豪たちや彼と戦うために魔界転生した宗矩。十兵衛は人を狂わす己の剣に失望し自身は異物であるという認識は改めて感じたのかもしれない。だから、活人剣を振るう又十郎や門下生の丈馬、刀鍛冶の甚八と、剣豪ではない彼らと離れる決意をした。
「殺人剣」のセリフに、戦いを通して理解した十兵衛の感情や決意が詰まっている。

カーテンコール

暗転した後タンゴのようなサンバのような洒落たBGMが流れ始め、皆でダンス!本編が哀しい終わり方なので幸せな気分になれる。
カーテンコールは基本的に重要な登場人物の逆順が多いけど、今回は関係性重視らしい。
天草四郎はお品さんと登場。二人で仲良く手を取り合ったダンスをした後、お品さんと甚八のコンビで社交ダンス風の踊り。豊臣バンザイ〜!
その後の又十郎は一人バク転してた。なにあれ…身体能力すごいね…
宗矩はマタドールのような布(ただしギンギラ金色でマツケンサンバ意識?)を持ち、淀殿の姿を少し隠しながら登場、な大御所組。淀殿はお品さんと一緒に、扇子を手にお揃いの振り付けで踊っていて、ここの姑嫁組も幸せそう。
そしてラストは皆が端に並び、満を持して柳生十兵衛の登場!他の登場人物は大体誰かと一緒に登場していたのに、十兵衛は一人きり…本編ラストを思い出して少し切ない。彼に並び立つ者は存在しないのかな…
最後は皆でひとしきり踊って終了。本編で亡くなった人、一緒にいられなかった人が共に踊っている夢の一時でした。この演出を考えてくださってありがとうございます。

同じ時代のその他舞台

魔界転生が配信されている一週間のうちに舞台『ムサシ』と宝塚星組公演『柳生忍法帖』を観劇したおかげで、魔界転生への解像度も格段に上がった。この時代を描いたお芝居ってあまり無いのに珍しいこともあるもんだ…
『ムサシ』宮本武蔵が人を殺さなくなるまでを描くメッセージ性重視の舞台。柳生忍法帖魔界転生では悲しいラストを迎えた十兵衛が宗矩と沢庵和尚に囲まれている愉快な姿を見ることができる。あと礼真琴さんの十兵衛はひたすらに格好いい。上川さんの十兵衛とは違うけれど、キャラクターや活躍自体がよく似ている点は「柳生十兵衛」について世に固定観念が生まれており、それほど柳生十兵衛は愛されている人物なのだろう。

天草四郎の項で出した宝塚星組公演の『MESSIAH』天草四郎カトリックではない新宗教爆誕させる物語で、あれもあれで面白い解釈だ。小池さんの薄幸で儚そうな天草四郎とはまた異なり、ザ主人公タイプの元気な明日海りお天草四郎が見られる。