かぐたち

関係性オタクの徒然日記。

舞台『魔界転生』再演 感想

2021.10.18


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2021.6に新歌舞伎座で観劇した感想+2021.10の1週間限定配信で見直した感想。

一回の観劇では感想が未熟だったので、配信を好機にちゃんと上げることにしました。
斜線部は観劇時の感想だが、見直し時にこれは無いなと削除したものをあえて残してます。

目次


役者の演技が上手すぎて感動しきった結果、話の殆どは物語の構成についてです。
役者の皆さんはどの演技も素晴らしい!!殺陣も最高!コロナ禍でキャストの人数が少ない中数を多く見せたり場面転換を凝らしたり、映像演出の発達ぶりにも驚いた。

ホームページによると初演は4時間→再演では3時間20分と公演時間は短縮。前回よりも大幅にコンパクト化されている。(ただし初演の記憶は朧げなので、どの部分が短縮されたか分からない…)

おおまかな感想(登場人物毎)

柳生十兵衛…普段のちゃらんぽらんぶりとシリアスの真剣さのギャップで風邪を引く格好いい男。ちゃらんぽらんってた長崎でも強過ぎる。一緒に配信を見ていた友人が上川さんに落ちたぐらい格好いい。キャラクター的には個別の項で。

天草四郎…初演は青と白の衣装、再演は赤と黒の衣装。再演の方はより悪の首領感が出ている。
顔小さい!声が可愛い!(転生して声音が低くなってからも)16歳だもんね〜癖っ毛が似合ってました。
首領なのに中間管理職の悲哀が…魔界衆はそれぞれが好き勝手に動くので首魁の天草四郎が全体的に不憫…がんばれ…天草四郎の辛辣な悪口(「毛無しジジイ」等)は生前の穏やかな印象とのギャップも相まって笑ってしまった。邪悪な嗤いも闇落ち感が出ててよきよきです。

柳生宗矩…眉を僅かに上げるだけで様になる。立ち居振る舞いは堂々たるもので、纏う空気が一人だけ違う。…真剣になった十兵衛を除いては。ラスト十兵衛と宗矩の相対のごとく、剣を極める者同士でしか纏えない真剣の空気感なんだろう。

淀殿…派手好き。宗矩との絡みが可愛い。大阪城攻めの恨み言を言いながらも程々に仲良くしてるのが不思議〜孫に甘い淀殿。(宗矩からすれば20年近く前の話なので感傷は無いんだろうな。)
舌出し宗矩に驚くシーンで、口をあんぐり大きく開けて驚くのではなく、口を窄めておののく姿は品が良く大変キュート。
真田幸村は妾が唯一恋した男子ぞ!」の台詞に大河ドラマ真田丸』を思い出したよ

お品…空手といい大根で戦おうとする姿といい、強くてかっこいい女性。「天草四郎の姉」だけど台詞から計算すると大体三十前後かな。淀殿との対峙は俳優と俳優の演技のぶつかり合い。一見の価値ありです。

根津甚八…今作の癒やし枠その一。殺陣が少なくて寂しいが、剣豪でもなく豊臣の血筋でもないために本作においては徹底した傍観者だ。
「無駄に長生きするもんじゃねえや」と嘆きつつ家臣としての役目を全うし、主君たる豊臣一族の末路を見守る辛い役どころ。だがラストには鍛冶屋になる生きる希望を見つけ、十兵衛からは「一人前の刀匠になったら〜」と夢を与えられた。これから長生きしてくれ〜。
「縁」を重視しており、柳生一門と別れるシーンやラストの宗矩の墓参りのシーンと二度「縁」を持ち出している。気持ちのいい人物。

柳生又十郎…顔ちっさ!!!!!!!良家の坊っちゃんで生真面目堅物な性格。恵まれた境遇+時代に合った質実剛健な人柄をしているのに(煙たがられても)嫌われないのは彼の人徳か。これは確かに太平の世向き。坊太郎との居合のシーンで、彼が剣を抜かなかったと知った時の愕然とした表情や素早く駆け寄る動きが大好きです!

田宮坊太郎…魔界衆のサイコ要素を持ってた登場人物。直前とは違う行動を取ることもザラ。
勝手な考察などは坊太郎と又十郎の項で。

荒木又右衛門…復讐するうちに弱くなっていた魔界衆の一人。死後転生した悲哀を抱えている、詳しくは魔界衆の項で。

宮本武蔵…今作の小物枠。実は配信を見る前に別の舞台『ムサシ』を見ていたのでより一層『ムサシ』の20年後の武蔵が立身出世第一になったら嫌だな…と思っていた。とはいえ一つの宮本武蔵像として興味深い!小物として描かれることは少ないので。
二天一流の二刀流殺陣が素敵。
転生しても宗矩はそのまま老人の見た目だが、武蔵は若返っている…彼の後悔が深い証か。

宝蔵院胤舜…転生後天草四郎曰く「毛無しジジイ」。毛が生えた途端に怖くなった。映画版はかなり狂気じみている。舞台版は天草四郎の言うことを聞いてるだけ魔界衆の中でもマシな方。
死亡→転生シーンの転換が早い!他の面々と比べれば鬘を被って顔にメイクを施すだけにしても、10秒ぐらいで登場してる。小道具さんの仕事がすごい。
胤舜を倒す代わりに五太夫が命を落とす展開から、魔界衆の残りを倒すためまさか味方が六人も死ななければならないのか…?と予測して軽く絶望したものだ。あの展開は上手い。

柳生門下3人組…愉快愉快な千八、五太夫、丈馬の門下生三人。千八は長くて、五太夫は朗らか、丈馬は頑固そう。十兵衛を「先生」と呼び慕っている様子が可愛らしい。

由比正雪…胡散臭いおっさんのはずが可愛いヒロインに見えてくる謎。
十兵衛に脅されてるシーンの由比正雪可愛過ぎません!?小動物のキュルンとした目をしてる!なにこの可哀想可愛い生き物は…………。魔界衆からはいじめられるし十兵衛にはグサグサ刺されるし、今作のヒロイン枠か!?

相変わらずギャグが面白い

公演時間カットの中でも、削除されてないだけあって洗練されたギャグの数々。抱腹絶倒!コンパクト化のお陰でギャグの鬱陶しさがなくなった。
「わらわの食べたい物〜」で堂島ロールを買いに行く淀君…。(配信だとTKG)私も堂島ロールが食べたくなる。地域ごとに寄ってご当地グルメを出してるのかな。
ギャグの中でもとりわけ、確か十兵衛によるうっせえわパロディと、エロイムエッサイム歌唱がすぐに終わったせいでキレる天草四郎が大好き。流行りネタとクールキャラ不憫いじりネタは面白い。
特に天草四郎の歌唱シーンはマイクを持ち出した時点で目が点になった。気持ちよく歌っていたのに、ノイズが走る→「うるさい!」→暗転する→「終わらせるな!」「最後まで歌わせろ!」と不憫な天草四郎天草四郎自体ギャグシーンが珍しかったので記憶に残ったシーン。
相変わらず下ネタは少々残っていた。立ちションシーンが消えていないことは前もって知っていたからうんざりすることも無く。40分短縮で殆どの下ネタは消えたが、それでも残っている立ちションネタに演出家か脚本家か誰かの変なこだわりを感じる…。
(2021.10追記)
配信見直しで初めて、魔界衆6人勢揃いを「ロイヤルストレートフラッシュ」と例えるためだけにわざわざ上へ登ってる十兵衛に気付いた。この一言のためだけに!流石ギャグに拘ってる〜!
十兵衛がお品を抱き留めるシーンで「ラブリンごめん…!」と謝っているのは何故だろうと不思議がっていたら、ラブリン=ナレーションの片岡愛之助さん=お品役藤原紀香さんの夫という事らしい。だから天に向かって言ってたのか。
中の人ネタで言えば「遺留捜査官?」も好き。上川さんが主役の遺留捜査官=テレビ朝日魔界転生のスポンサー=日本テレビ…そりゃ十兵衛が慌てて口を塞ごうとする訳だ。

初演から削除された?部分

・ギャグシーンのカット。初演は明るい冒険活劇の印象だったが、ギャグが減った再演は『魔界転生』らしい薄暗さも兼ね備えた印象に。
・登場人物が少なくなった(北条主税や天草四郎の小姓など)
・弟子が魔界衆に殺された静かに怒る十兵衛の冷徹さ。由比正雪を淡々と尋問するシーンで発揮されたが、物足りなかった(朧気な記憶が頼りなので、もともとはどうだっけ…)
・十兵衛が唱える「分からぬことはわからぬ!」荒木が無念の死を訴えた時に一度言ったきりで、最後に天草四郎相手に言い放つシーンが印象的。だが前回はもっとくどい程だった気がする。
・柳生親子の対峙。最後の決闘シーンが転生後初の邂逅。もっと色々なかったっけ?
・ライブシーンが追加されたような?
・十兵衛の妹、すずがいなくなった。(これはキャスト降板の影響)だがいなくても違和感なかった物悲しさ…いや、うまく成立させた脚本演出役者の皆さんがすごいのか?
だがラストシーン、旅立つ十兵衛を見送る柳生の人間は又十郎と丈馬で十分。強いて言うなら、最終決戦へ赴く柳生一門を見送り彼らの帰りを待つ人間は欲しかったので、すずの存在が必要なのはそのぐらいか?ただし尺の都合で削除もやむなし。

本筋は映画と変わらず

徳川幕府を転覆させようとする魔界衆
手段は平将門の怨霊の復活
魔界衆が幕府転覆を狙うのは映画版とも共通するが、将門公を利用するのは舞台オリジナル。
天草四郎が魔界衆の首魁で、他の魔界衆に宝蔵院胤舜宮本武蔵柳生宗矩は共通。紅一点枠は映画版だと細川ガラシャ、舞台版は淀殿。パンフのインタビュー曰く、舞台版は小説に合わせて魔界衆を7人に揃えているそうだ。

魔界衆の狙い、幕府転覆の野望に立ち向かう柳生一門。ただし柳生門下で慣れ親しんだ者達も魔界衆にいるため、主人公達は魔界衆に対して同情的になっており、「彼等が悪を為す様を見たくない」理由で戦っている。
幕府転覆を目論む敵側も一枚岩ではない。
生きている人間で転覆後の世を考える由比正雪VSただただこの世を滅ぼしたい死者の天草四郎達で、両者には大きな違いがある。
ただ単に野望を阻止すれば良い訳でも、生者が死者を倒せば良い訳でもない。勧善懲悪とは言えない物語だ。

本筋以外にも、キャラクター達それぞれの物語が存在する。

  • 剣(殺人剣)の道に生きる男たちの物語

柳生十兵衛柳生宗矩たち。
純粋に剣の道を追求する者(十兵衛、宗矩)もいれば、立身出世の野望(宮本武蔵)や暴力性に身を委ねる者(胤舜、荒木、坊太郎)もいる。
彼等については十兵衛の項、魔界衆の項で詳しく書く。

  • 豊臣にまつわる物語

天草四郎、お品、淀殿甚八
秀頼の血縁者達と、彼女達を見守る家臣・真田十勇士の生き残り。
天草四郎淀殿を「おばば様」と呼び、淀殿は秀頼の忘れ形見として慈しむ関係。(その割に「三郎」と名前を間違うが)
四郎はお品を純粋に姉として慕い、「私が生きていた姿を記憶に刻んで欲しい」とお品を逃がす。魔界衆に転生後もお品のクロスを見て甚八の殺害を止めるなど、想いは変わらぬ様子。お品の正体と自害を知った後は取り乱していた。
お品は淀殿を説得する際に、何度も秀頼の想いを強調している。「母君がくださった骨喰藤四郎は命より重いと語っていた」「秀頼様は誰も恨んでないとおっしゃられた」など。淀殿の泣き所を理解した策略なのか、それとも純粋に人情に訴えただけなのか。秀頼の母と妻が亡き秀頼公に思いを馳せる悲しいシーンだ。
甚八は今も豊臣に忠誠を誓っており、豊臣を討った柳生宗矩の息子達と行動を共にするのを拒絶するほど。魔性に変わり果てた淀殿の姿をいたわしく感じている。(当の淀殿真田十勇士だった甚八を覚えていないが)元々はお品に言い寄っていたように見えたが、その正体を知った後は主人の妻に接するように自害を手伝った。クリスチャンは自殺できないので…。初めは出島の女郎屋の主人だったが、奇しくも大坂の陣以来再び豊臣の臣下として、四郎・お品・淀殿の最期を看取り豊臣の終焉を見届けた。

  • 柳生門下生の絆

…又十郎、坊太郎、丈馬、五太夫、千八、(荒木、十兵衛)
又十郎と坊太郎のシーンが印象的。自暴自棄になる坊太郎を気に掛け続け、そして最後は「来世でも友となろう」と誓う又十郎。又十郎に絆され最後の居合で剣を抜けなかった坊太郎。朋友二人の美しい友情。
この二人が印象的だったお蔭で、丈馬や五太夫や千八も柳生門下生の括りだけではなく、一人のキャラクターとして認識できた。幕間直後の「五太夫って5番目って意味なのかな?」「じゃあ千八は千人兄弟がいる!?」などのやり取りが可愛い。柳生門下生たちが十兵衛の剣の才を純粋に尊敬している姿は眩しいほどだ。魔界転生した坊太郎や荒木も十兵衛との対決を執心し続けていた。
2018年初演のパンフを見ると、北条主税、坊太郎、又十郎の順番だったのに今回2021年再演のパンフでは主税がいなくなり又十郎、坊太郎の順番に変わっている。つまり北条主税の役割を又十郎が引き継いだ…?門下生の代表だった主税がいなくなったのは寂しいが、おかげで門下生が三人に減りキャラクターを把握しやすくなったのもまた事実。

主人公 柳生十兵衛

器の大きい主人公。この主人公のキャラクターは、パンフレットの脚本演出家や演じる上川さんのページに詳しく、ぜひ読んでもらいたい。上川さんが十兵衛への解釈を深めて役に取り組んでいると伝わってきた。

作中の誰よりも強く、そして誰よりも器の広い男。
ちゃらんぽらんの風来坊だが、その裏には太平の世には剣士の生きる場所は無いと理解した諦念が隠されているように見える。魔界衆への哀れみはちゃんと表に出しており、情に厚い。
柳生の役割を厭う割に家族への情も持っている。「可愛い弟を親殺しの親不孝者にはさせられまい」と自ら父殺しの宿命を背負うし、転生した父には初めて本心を出し「父上ともあろう人が魔物なんかに付け込まれやがって!それでも俺の父上か!」と心底怒ってみせた。
戸田五太夫が重傷を負うと同時に父の魔界転生を知らされた時も、父の死に動揺する又十郎と比べ、十兵衛は必死に戸田に呼びかけていた。十兵衛先生と名前を呼ぶ五太夫に「ここにおるぞ」と手をしっかと握ってやる献身的な姿には、誠実さと全てを受け入れる包容力が表れている。尊敬する父の裏切りに衝撃を受けているだろうに今目の前で死にかけている弟子のみに心を向けられる姿勢は常人では成しえないだろう。
キリスタンなのかと尋ねるお品さんに「俺はキリスタンでもその敵でもない。ただ哀れに思うばかりだ」と、理想的な言葉で返したのも印象的だ。

誰よりも強いため、坊太郎や荒木や宮本武蔵どころか父親からも狙われる羽目となった…。彼自身はこの凄まじい剣の腕を褒められたものではないと考えているだろうに。
だが今回柳生宗矩が転生したのは宮本武蔵の追い詰めがきっかけなので、完全に十兵衛が理由だった映画版と比べると、そこは十兵衛の負担が減った。剣の道より立身出世を優先した宮本武蔵は最盛期の宗矩より弱く、よって宗矩は自分に迫る強さの十兵衛と一騎討ちを望んだのではないか、と考える。
(2021.10追記)宮本武蔵が「俺に負けて悔しくは無いか?最盛期ならば勝てたと思わないか?」と追い詰めても魔界衆にはならなかった宗矩は、「十兵衛と戦いたくないか?」と問われて初めて首を縦に振る。追い詰め方が違うだけで、映画版も舞台版も、宗矩が魔界転生するのは十兵衛が原因だ…。十兵衛が天才剣士の才能を太平の世には向かないと悲観し隠し続けたばかりに、不満を感じていた父が転生する原因になるとは…皮肉な話。
宗矩が十兵衛と戦うために転生したと十兵衛自身が知るのは、宗矩の最期「羨ましかった」のセリフの時点が初めてだ。その時はかなりのショックを受けただろうに、宗矩から言われた「お前はからっぽだ」のセリフを前向きに捉え天草四郎も全員受け入れると言ってみせた十兵衛は本当に心の強い人間だ。

映画版と舞台版におけるキャラクターの違い。
映画版ではひたすら剣の道を極める男として描かれていたので現れる敵を斬っていった。だからラストで、剣士ではなく術士の天草四郎を斬り殺し切れずに終わったのではないか。
だが舞台版では器の広さが強調され、遂には剣士ではない天草四郎も己に仕舞い込むと言ってみせた。(これは次の項目のように、天草四郎がルーツを描かれるなど一人の少年として扱われている点も大きい。)「分からんことは分からん!」と己の上限を理解し達観したうえで、それでも相手に寄り添おうとする、完成された人間性を持つ主人公。

父親柳生宗矩が息子との対決を望んだのも、誰よりも強い剣士との決闘の側面もあれば、十兵衛という器の広い人間ならば人斬りの魔性と化した己を受け容れてくれる…と考えたのかもしれない。父親に「お前はからっぽだ、だから羨ましかった」と託されてもそれを受け入れた十兵衛は流石というか。
だが最後に十兵衛が一人旅立つシーンは、父親を始めとした剣豪と戦い彼等と天草四郎を受け容れる(追記・器の大きさは問題ではないので削除)殺人剣しか振るえぬ己はやはり太平の世に向く男ではないと、今回の戦いで改めて気づいてしまったのかもしれない。

舞台版天草四郎の「創作」に対する所感

(以下、超個人的な天草四郎への感想が入ります。あと否定的な話も。)

豊臣云々はあまり好きではないと、再演にして気付く。
天草四郎」はごく普通の青年が何故か民衆に担ぎ上げられ、神の子に仕立て上げられた点が好きらしい。なので宝塚花組公演『MESSIAH』も好きである。
特別な血筋だからカリスマ性に溢れる等は確かに説得力が増すものの私の好みではない。
それに豊臣云々のせいで、天草四郎が純粋に徳川の世を憎むようになった部分が薄まっているように感じる。親の敵討ちの側面が出ている。

ただし、お品という姉(本当は母親)や祖母に当たる淀殿を出すことで、魔物に転生しても人情溢れる魅力的な悪役になった。
人間としての情を残していたからこそ終盤に姉の死を知った四郎は悲しんだ。人間として生きた自分を覚えてくれる人がいなくなったこと、大切な人が誰もいなくなったことに絶望し、「この世を滅ぼす!」と本気で術を使う怒り狂った姿は哀れですらある。
複雑な生まれ育ちをし、悲劇に見舞われた1人の少年の姿が舞台版にはある。映画版のような悪の首魁ではなく、ただ一人の少年に見える。
若くして死んだ彼への憐れみが、その非業の死さえ包容しようとする十兵衛の器の大きさを際立たせている。

…その人間味を出す天草四郎も、映画版の圧倒的な闇落ちぶりと比べると物足りなく感じるのだけれど…。映画版を見て『魔界転生』という作品ならびに天草四郎の死後闇落ちを好きになったので。

総括・面倒なオタクですみません。

又十郎と坊太郎

坊太郎と又十郎の友情は特に刺さった関係性だ。友愛の物語や死別が趣味のオタクです!

坊太郎は魔界衆が殺される度に反応をしていた。胤舜の時は十兵衛に「殺してやる!」と怒り、淀殿の消滅を一番に気づいたのも彼であり、兄弟子の荒木が殺された時は強烈な悲鳴を上げていた。恐らく人一倍仲間意識が強い設定だと思われる。
それには彼の生まれた時から父の敵討ちを宿命付けられた生い立ちが関係しているのかもしれない。坊太郎は序盤に柳生門下で番付をしたら上位に食い込むと言われた程に強い腕前を持つ。その強さも敵討ちを果たすためであり、周りと違う目的に孤独感を募らせていたのかも…などと想像が膨らむ。もしかしたら真の仲間を欲していたのかもしれない。
だからこそ、又十郎から掛けられた「来世も友となろう」の言葉に絆されたのではないだろうか。それは今世で得られなかった、一番欲しかった存在だろうから。
無辜の民を殺戮する坊太郎に対し、ずっと「そなたを殺したくない」「心を入れ替えると誓ってくれ、ならばお前を見逃す」と説得し続けた又十郎の器も十兵衛とは別の方向で大きいものだろう。朋友を殺したくない甘ちゃん精神だけでは無いことは、己が殺されるかもしれない時に来世の契りを口に出せたシーンから見て取れる。それ程の決意を秘めていた事に他ならない。

魔物に転生すること

魔界転生におけるメインテーマの一つ。
生前は理性的・温和だった人々が魔物に転生した途端、理性を失ったように殺戮を行う恐怖。

特に柳生宗矩だ。生前は尊厳溢れる頼れる父としてあった宗矩が、転生後は無抵抗な人々を斬殺する様は、息子でなくとも胸が潰れる思いがする。

又十郎が朋友の坊太郎に「殺したくはない」「心を入れ換えると誓ってこの場を離れてくれないか」と嘆願する姿も物悲しい…。魔界衆を倒す側も、死んだ者達が生き返って嬉しくない筈ないのだ。ただ殺戮する彼等を放ってはおけないから殺すのだ。
(2021.10追記)竹林で由比正雪配下の者と握手していたかと思うと直後に斬り捨てる坊太郎の豹変ぶりは怖かった…

宮本武蔵は転生した結果地位にこだわる小物と成り果てる。そこにはかつて名声を轟かせた剣豪の姿はなく、ラスト十兵衛に斬られて彼の殺人剣を強調するだけの装置へ落ちぶれる。(2021.10追記)ラストの登場する魔界衆が荒木ではなく武蔵なのは、武蔵の凋落ぶりを表すためだろう。荒木でも問題は無いが、下記のような事情を思えば、荒木は戦いの中で剣士として終われて良かったと思う。
荒木又右衛門も同じく。女への復讐のため転生した彼は復讐に囚われ、かつて十兵衛と並ぶと謳われた剣の腕も衰える。誇りにしていただろう己の剣の腕を否定した女に対して復讐する内にそのアイデンティティを失うとは皮肉である。…だからこそ荒木を殺したのが同輩の十兵衛で良かった。

淀殿も記憶が錯乱し秀頼幼少期のように振る舞っている。四郎はおばば様としてお慕いするも、時折魔物の姿に戻りかける淀殿を見て「私もいずれは魔物になる(人間としての理性を失う)運命か」「いや、しれたことよ」と覚悟を呟いていた。魔界衆の首魁とその血縁者でこのやり取りをしたのは皮肉だ。(血縁が存在するのは人間のみであり、一度死した魔物には存在しない関係のため。)

(2021.10追記)
淀殿が消滅した原因を魔界衆があまり気にしないのは変では?
→原因を探ろうにも人手が足りなかったり情報集めに適した人材がいないのも理由の一つ。さらに、彼らは魔物化が進んでおり、理性や冷静な判断能力を喪失しているのでは…?

魔界衆との別れ

この舞台では、魔界衆と彼らを看取る人間という悲しいシーンが3種類存在する。
淀殿&お品、坊太郎&又十郎、宗矩&十兵衛。
だがそれぞれのシーンは人間が魔界衆を成仏させる方法や掛ける言葉が微妙に異なっている。

淀殿&お品は、剣豪ではない二人の女性に合わせて、思い出と情で切実に説き伏せている。そしてキリシタンのお品らしく「私もすぐそちらに参ります。」と、あの世での再会を誓う。(キリスト教は輪廻転生しない終末思想なので)そして姑と嫁という息子/夫の秀頼ありきな今生のみの関係性であることも、このセリフを使った理由だろう。

坊太郎&又十郎は、二人とも剣豪ではあるが、又十郎の言葉に絆された坊太郎が自ら斬られる事を望む。お品と同じく又十郎も言葉でもって魔界衆を終わらせるのだ。
既に書いたとおり又十郎は「来世でも友となろう。」との言葉を坊太郎へ掛ける。輪廻転生思想を持つ日本人らしいセリフだ。友という一対一の関係性なので来世の約束ができる。

宗矩&十兵衛は、言葉で諭した上二つとは大きく異なっている。剣豪である二人は語るべき言葉を持たず剣でもって相手を倒す。
正確にいえば十兵衛の方は宗矩を説得しようとするのだ。今までひた隠しにして来た本心を初めて出して「俺の父上ともあろう方が情けねえ!」と激情を吐露する。
だが遅すぎたのか、宗矩はその本心と向き合おうとはせず刀でもって語ろうとする。(その想いも詰まっているこのシーンの殺陣は見事なものだ。)刀で語り合う手段は、剣豪として十兵衛の本当の強さを知りたかった宗矩にとっては最適。ただし十兵衛にとっては求めたものでは無かっただろう。
宗矩以外のシーンでも、十兵衛は刀を使う方法でしか、殺す方法でしか魔界衆を倒せなかった。
お品や又十郎とは異なってしまったこの十兵衛の倒し方が、次項の「殺人剣」に繋がってくる。

殺人剣と活人剣

十兵衛が又十郎・甚八・丈馬と別れるラストシーンで出すのが「殺人剣と活人剣」だ。人を活かす活人剣は又十郎の剣、人を殺す殺人剣は十兵衛自身の剣だと語る。
この対比が正しいことは、前項で書いた魔界衆の終わらせ方を比較すれば一目瞭然だ。又十郎は坊太郎をその言葉で絆したが、十兵衛には宗矩と斬り合うしか道は無かった。
言葉で交渉し剣で決着をつける、又十郎の在り方は今後徳川太平の世に相応しい。だがただ斬るしかできない十兵衛の存在は太平の世に似つかわしくない。…己を異物と理解しているからこそ普段は本気で剣を振るわず昼行灯な振る舞いで太平の世に似つかわしい存在に擬態している。
そして十兵衛の項で書いたように、彼の強すぎる剣の才能に惹かれる魔界衆の剣豪たちや彼と戦うために魔界転生した宗矩。十兵衛は人を狂わす己の剣に失望し自身は異物であるという認識は改めて感じたのかもしれない。だから、活人剣を振るう又十郎や門下生の丈馬、刀鍛冶の甚八と、剣豪ではない彼らと離れる決意をした。
「殺人剣」のセリフに、戦いを通して理解した十兵衛の感情や決意が詰まっている。

カーテンコール

暗転した後タンゴのようなサンバのような洒落たBGMが流れ始め、皆でダンス!本編が哀しい終わり方なので幸せな気分になれる。
カーテンコールは基本的に重要な登場人物の逆順が多いけど、今回は関係性重視らしい。
天草四郎はお品さんと登場。二人で仲良く手を取り合ったダンスをした後、お品さんと甚八のコンビで社交ダンス風の踊り。豊臣バンザイ〜!
その後の又十郎は一人バク転してた。なにあれ…身体能力すごいね…
宗矩はマタドールのような布(ただしギンギラ金色でマツケンサンバ意識?)を持ち、淀殿の姿を少し隠しながら登場、な大御所組。淀殿はお品さんと一緒に、扇子を手にお揃いの振り付けで踊っていて、ここの姑嫁組も幸せそう。
そしてラストは皆が端に並び、満を持して柳生十兵衛の登場!他の登場人物は大体誰かと一緒に登場していたのに、十兵衛は一人きり…本編ラストを思い出して少し切ない。彼に並び立つ者は存在しないのかな…
最後は皆でひとしきり踊って終了。本編で亡くなった人、一緒にいられなかった人が共に踊っている夢の一時でした。この演出を考えてくださってありがとうございます。

同じ時代のその他舞台

魔界転生が配信されている一週間のうちに舞台『ムサシ』と宝塚星組公演『柳生忍法帖』を観劇したおかげで、魔界転生への解像度も格段に上がった。この時代を描いたお芝居ってあまり無いのに珍しいこともあるもんだ…
『ムサシ』宮本武蔵が人を殺さなくなるまでを描くメッセージ性重視の舞台。柳生忍法帖魔界転生では悲しいラストを迎えた十兵衛が宗矩と沢庵和尚に囲まれている愉快な姿を見ることができる。あと礼真琴さんの十兵衛はひたすらに格好いい。上川さんの十兵衛とは違うけれど、キャラクターや活躍自体がよく似ている点は「柳生十兵衛」について世に固定観念が生まれており、それほど柳生十兵衛は愛されている人物なのだろう。

天草四郎の項で出した宝塚星組公演の『MESSIAH』天草四郎カトリックではない新宗教爆誕させる物語で、あれもあれで面白い解釈だ。小池さんの薄幸で儚そうな天草四郎とはまた異なり、ザ主人公タイプの元気な明日海りお天草四郎が見られる。

【noteから移行】仮面ライダー剣とホモソーシャル

(2020.10.29)


最近ホモソーシャルの話題を見かけて、「『仮面ライダー剣』って正直ホモソーシャルですよね…」と落ち込んだので一旦整理しようと思う。好きな作品でも問題点を纏めるのは大事な事だ。

そもそも「ホモソーシャル」をちゃんと理解していないし間違って解釈している所もあると思うので、遠慮なく指摘してください。

【注意】
橘朔也と上城睦月周りの人間関係を批判する内容があります。上記二名を否定されたくない人は読まないでください。


目次

導入

仮面ライダー剣の後期(31話〜)のOP『ELEMENTS』。大変人気のある曲だが、OP映像はメインライダー四人(剣崎一真、橘朔也、相川始、上城睦月)が拳を突き合わせるシーンから始まる。
拳を突き合わせる=男同士の友情の示唆と捉えるならば『剣』はホモソーシャルの物語と捉えられる。
実際、話の本筋は剣崎くんと始さんの友情物語なので…確かに「 男同士の友情」がメインの話です。


そもそもホモソーシャルとは?

ホモソーシャル (英: homosocial) とは、恋愛または性的な意味を持たない、同性間の結びつきや関係性を意味する社会学の用語。 友情や師弟関係、メンターシップ、その他がこれに該当する。 対義語であるヘテロソーシャルは異性との同様な関係を指す。
(出典:Wikipedia

ホモソーシャルってどういう意味? – "男性同士の絆"と"男性の生きづらさ"について|漫画でわかるLGBTQ+ / パレットーク https://note.com/palette_lgbtq/n/nef751beeeb21

要するに男同士の関係性を重視する風潮を指す。既存の男性像に含まれない男(可愛い物好き、女嫌い、同性愛者、無恋愛者etc)を除外したり、ミソジニー(女性蔑視)とホモフォビア(同性愛嫌悪)が含まれることが多いらしい。

一旦は「男同士の友情最高!女性との関係性なんて二の次!」な思想だと考えてみよう。

では『剣』のメインキャラ、剣崎一真と相川始から見ていこう。


剣崎一真と相川始周りの人間関係

本来は主人公の剣崎くんと、始さんでそれぞれ項目を分けるべきだろうが、物語の本軸がこの二人の関係性なので纏める事にした。

実はこの二人からホモソーシャルだな、女性蔑視だな、と感じたことは少ない。
それは、相川始が大切にする少女・栗原天音の存在が大きい。

『剣』は人間・剣崎一真と化物・相川始の友情物語だ。元々人間と化物、異なる二人は敵対し合っていたが剣崎一真は相川始の振る舞いを見て彼を信用しようと考え始める。
そのきっかけが栗原天音だ。



(書いたけど視聴済みの人には「あーはいはい」な内容なので※印まで飛ばして)
相川始が身を寄せるカフェ・ハカランダには栗原遥・天音母娘が暮らしており、相川始は母娘を守っていた。
剣崎一真や栗原遥の弟・白井虎太朗にはドライな対応をする青年が、この母娘の前では笑顔を見せる。特に栗原天音は相川始に懐いており、この化物と少女の関係性を好きな人も多いだろう。
戦闘本能に支配される化物が正体でも、栗原母娘を戦いから守る相川始。その振る舞いから、剣崎一真は理解し合えるのではないかと考え始める。
剣崎一真の信頼を受けた相川始は徐々に心を許していく。(山小屋介抱回とか自分の戦闘道具を貸してくれる回とか)
栗原天音を守り他の人間とも共闘する様子を見た剣崎一真は「たとえ化物でも彼もまた人間だ」と考え始めるのだ。
そして相川始の正体が、最後に生き残った場合地球が滅ぶジョーカーという最凶の化物だと判明しても、剣崎一真は彼を庇う。相川始もまた「人間」で、彼がいなくなれば悲しむ人…栗原天音がいるから。



※(ここまで飛んでね!)
…要するに剣崎一真と相川始の関係性は栗原天音ありき、ということ。二人の友情は始さんと天音ちゃんの疑似兄妹のような関係性を分断しない。
女性キャラありきだからホモソーシャルでもミソジニーでもない!という短絡思考。

( とはいえ剣崎くんは、始さん&天音ちゃんの絆を守るためというより、あくまで天音ちゃんを切っ掛けに人間に近付いた始さんを守るため、自己犠牲に走ったような……)

この二人はホモソーシャルじゃない!と感じた三例があるのでそれぞれ出してみよう。

たそがれ小説(剣崎&始の友情物語の立役者、メイン會川脚本)

年老いた栗原天音の元に相川始が訪れる話。時を経ても変わらぬ二人の穏やかな会話と関係性が描かれる。
この短編では剣崎一真…と思しき人物の話が二人の会話に出るだけ。あくまでメインは始&天音だ。

夏の劇場映画(平成一期恒例井上敏樹脚本)

剣崎一真が相川始を封印したIFルート。
この物語では、栗原天音は突然いなくなった始にショックを受けて成長後グレてしまう。始を封印した剣崎は責任を感じ天音を諭す。始との友情に報いるため、というより自らの責任を果たしているようだ。

ジオウ剣編(ジオウにおけるレジェンドの扱いに慣れてきた下山脚本)

相川始と剣崎一真を遭遇させたい敵の思惑により、栗原天音が利用されてしまう。天音の異常に気づいた始が現れ、その始の異常に気づいた剣崎が現れ…というエビで鯛を釣る話。
男二人を鉢合わせるため女性キャラを利用するんじゃねえ!…とツッコミたい所だが、この敵の策略はあまりにも合理的。最適解。正直これしかない。頭が良い。
最後は剣崎くんと始さん、始さんと天音ちゃんが笑え合えるようになって良かったね!な強制ハッピーエンド。ジオウは強制ハッピーエンドを生める唯一無二の舞台装置を持っているため、むしろ策略の始まりになった天音の存在は重要だ。


真逆に「いやこれホモソーシャルだろ!」と突っ込みたい例もある。

ドラマCD

本編後の話。意図的に感じるほど女性キャラのその後の話が出ない。天音ちゃんはどうした!?
皮肉なのは、この話の脚本家が女性(でBL脚本家らしい)点。…おう…

キャラクター文庫小説(サブ脚本家)

化物の始を拒絶する天音と、それにショックを受け剣崎に会いたいと願う始の描写がある。終盤の始→剣崎描写のために天音ちゃんの存在を蔑ろにするな……


とはいえ、全体的にこの二人の友情物語のため女性キャラを意図的に排している、と感じることは少ない。
剣崎一真の側にいるメインヒロイン・広瀬栞は独自のドラマを担っている点も一因だ。
あの最終回のため、剣崎からあえて恋愛色を無くしたのだろうか…?

(この二人の関係性はあまりにも「友情」が強調されるため、ホモフォビアはあるかもしれない…)


主人公から排した恋愛要素を担ったのが、残る二人・橘朔也と上城睦月だ。

【注意】
橘朔也と上城睦月周りの人間関係を批判する内容があります。






橘朔也

剣崎一真と上城睦月の先輩ライダーにあたるキャラクター。前半は彼を先輩と慕う剣崎とタッグを組んで化物と戦ったり、中盤以降は闇落ちする上城睦月を導いたりと、先輩としての役割を務める。
先輩後輩もホモソーシャルの一例だがそれはさておき。


問題は、彼の昔馴染みである女性キャラ・深沢小夜子の描かれ方だ。

序盤に迷走していた橘朔也を想い小夜子は言葉をかけるものの彼には届かない。その内敵に殺されてしまい、彼女の死に絶望した橘は覚醒して仇を討つ。
要するに橘が覚醒するきっかけでしかない。

小夜子自身の掘り下げも無く、ひたすらに橘の心配をしているだけ。その想いも届かず彼女は死んでようやく橘の役に立つ。その後も橘が小夜子を想う描写は少ない。
序盤で最も橘と絡みがあった女性キャラが強化素材扱いとは……ミソジニー……



これは前半脚本家の問題(仮面ライダーに慣れていない脚本家が書いたため、剣の前半は迷走ぶりで有名)だが
後半(剣崎&始の関係性の立役者)の脚本家でもミソジニーを思わせる関係性がある。


上城睦月

ヒーローごっこをしたい生半可な覚悟の少年が敵に利用され闇落ちし痛い目を見る枠。良くも悪くもごく普通の少年で、作中屈指の最悪な敵に利用され、周りの仲間たちの協力で光…正義側の存在に戻る展開だ。

彼周りの人間関係の問題点も橘朔也と同様だが、闇落ち期間が長すぎた弊害が大きい。


彼のガールフレンド・山中望美も小夜子と同じく、睦月の心配をするしかできない。望美にできることは「優しい睦月に戻って」と呼びかけるだけだ。

だが、睦月を心配する周りのキャラクター達が彼女の手助けをする。
嶋昇は異能力で彼女の声を睦月の心に直接届け、城光は「心配する彼女の元に戻れ」と自らを犠牲にして睦月の闇を晴らそうとする。先輩ライダーの橘朔也や剣崎一真も、彼女の想いを叶えようと奮闘する。(あの相川始も城光と同じような発言をしていたような…)
そして望美が体を張って睦月を止めることで、彼は闇を打倒できた。
睦月が光に戻るための最重要要素が望美なのだ。


闇落ち展開では心配する異性の愛で光に戻るのは王道中の王道だ。
その王道を私は「女性キャラは無力でただ呼びかけるだけなんて、女性蔑視では?」と嫌っているが、小夜子の例と比較すると格段にマシだろう。
睦月ありきのキャラクターとはいえ、一人のキャラクターとして機能している。




まとめ

仮面ライダー剣』のホモソーシャル要素について考えてみた。
「この作品はホモソーシャルではない」と否定できないしミソジニーもある。だが、脚本家によってはそう感じにくいように描き方を工夫しているようだ。

この作品は2004年1月〜2005年1月に約一年間放送された15年以上前の作品で、古い作品である点を考慮すれば脚本家の配慮は有難いものだ。子どもも大人と一緒に見る番組だからね…
現在の感性ではこの作品の全てを肯定できないが、変わり行く時代の中では致し方ないだろう。


大好きな作品が脚本家に恵まれたことを幸運に思う。



↓元記事
https://note.com/kagutachi01/n/n32bf47ab3936

【noteから移行】仮面ライダーウィザード感想 キャラクター編

(2020.10.27)

さてキャラクター編。また駄文をつらつら。物語編より迷走してる。




目次

操真晴人

乙女ゲームのメインヒーローみたいな男。
大真面目に考えるとメインヒーローにしては精神的に脆いので攻略対象の一人だな〜
彼のせいで「乙女ゲーム✯ウィザード」なんて妄想をした事もある。プレイヤー視点のヒロインは凛子ちゃんだ!1話の出会いとかそれっぽいぞ。


いつもキザな物言いや振る舞いをするのは絶望で心折れそうな自身を守るため。
普段格好つけているのに、頻繁に「俺には無理だ」と挫ける操真晴人を見てときめいた夢女(夢男も)多そう〜
OPの超ロング黒コートを楽しみにしていたら本編中一回も着なかった…無念…アキレス腱に届きそうな裾の長さは中二心擽られるのに
フォーゼとのMOVIE大戦で、結婚式のタキシード姿になって吹いた。どんだけ夢女(夢男)を殺す気なのよ!?
撮影班、すなわち監督も毎回操真晴人をどれだけ格好良く撮るかに心を砕いていた気がする。一話に一回は格好良い決めシーンがあった男。

ドキリとさせられて思わず拘束を解いてしまいそうになるような捕まり方や

https://www.toei.co.jp/tv/wizard/story/1202127_2063.html
公式サイトの文責さんも変な事言ってる…どれだけ人を狂わせれば気が済むんだ操真晴人…


序盤は魔法使いが一人きりなのでゲートを守るのも大変だし、張り詰めた緊張の糸がいつ切れるか心配だった。その分、仁藤が登場してから普通のアンちゃんの言動が増えてホッとした。

45話の恩師よりもコヨミちゃんを優先するパート、魔法使いの信念よりも大切な人を優先し後悔するシーン(「無理して一人で抱え込んでると、そのうち自分の大事なものを腐らせちまうぞ」)を見ると操真晴人の危うさがよく分かる。

ダメよこんな人に孤独な英雄、仮面ライダーをさせちゃ……


鎧武とのMOVIE大戦でも、コヨミちゃんの願いを叶える〜と口では言いながら大切な人の形見を捨てられない弱さを嘆いていたね。
イエヤスを一側面だけで判断して悩んでいた紘汰さんを導く姿は先輩していたけれど、最終回まで戦っても弱い部分があって人間らしい。そこが操真晴人の良いところ。


そのMOVIE大戦や31話(インフィニティー初登場回)、コヨミちゃんと抱きしめ合う演技を見たら操真晴人が最終的に結婚する相手が凛子ちゃんとは驚き。
でも凛子ちゃんとはビジネスライクなバディで噛み合いそうだし結婚生活は上手く行くでしょう。

いずれ再会する約束を前作『フォーゼ』主人公・如月弦太朗としたり、次作『鎧武』主人公・葛葉紘汰を明るい陽気な兄ちゃんとしてのみ知っていたり、前後作の主人公とエモい関係がある。
平成二期のMOVIE大戦文化のおかげ〜復活して〜

どうでもいいけど鎧武とのMOVIE大戦で登場した青銀のインフィニティー+金色のドラゴン装備の色合いが美しい!フィギュアーツ出してください!買います!


コヨミちゃん

好きなポイントは物語編で全て書いた。

乙女ゲームウィザードだと隠れ攻略対象(同性とも恋愛できるぞ!)で彼女の意識を何かに繋ぎ止められるハッピーエンドがあるはず…あってくれ…

操真晴人との関係性が強い…最高の関係性です。

仁藤攻介

『ウィザード』において黒幕の想定外だった男その一。今作の2号ライダー。
コミュ力お化けで明るくて呑気。別名マヨネーズ。一作品に一人仁藤がサブキャラでいれば雰囲気ハチャメチャ明るくなりそう!


陽気なアンちゃんで、おかげで操真晴人の負担も減ったが終盤まで本筋に関わらなかった男。なので終盤までずっと物語の安定役を担ってくれた。
師弟関係にあった譲くんを取り戻すため終盤は物語に加わる事に。2号ライダーとしてそれぞれのドラマを担っているこの手法好きよ!(エグゼイドとか!)
変身音の「エルアイオーエヌ、ライオン!」が癖になる。


鎧武とのMOVIE大戦で面白愉快なアンチャン化が進んでる。おいキマイラ、ヘルヘイムの実食べて大丈夫か!?
この一連のセリフ絶対アドリブでしょ!?晴人&仁藤の「マジか、マジで!?」「マジだ」のやり取りはそのへんの大学生の会話。


31話(ビーストハイパー初登場回)にて、キマイラに憑依された時の「恐怖よりも可能性の広がりにワクワクした」というセリフに、どこの海賊王主人公だよ!?とツッコミ。
そういう意味でも絶望を扱う『ウィザード』における特異点。最終盤49話(キマイラを開放しサバトを止める回)でも希望だった。


絶対に明るい未来へ引っ張ってくれるアンカー、如月弦太朗に近いものを感じる。
あと口癖「皆まで言うな」に表れる呑気さが、五代くんとか今までの主人公キャラに近いよね…
(さっきサブキャラなら〜と限定したのはクウガ主人公五代雄介に近いから。主人公なら五代くんみたいになりかねる…怖い)


凛子ちゃん・瞬平くん

操真晴人を支える非戦闘員の仲間たち。

こういう支える仲間の存在が大切なんだよ〜『仮面ライダー剣』とか。
英雄が英雄たりえるのは日常があってこそ、日常を象徴する非力な一般人がいてこそ。なので彼等のような存在は大切。一年限りの英雄を日常に繋ぎ止める存在。
この点、最近のライダー作品は全員仮面ライダーな事も多いので複雑っす…


この二人はそれぞれスタンスが違うと示した36 37話(ゲートが放火魔冤罪で追われる回)や45話(「腐らせちまうぞ〜」回)が良かった。
警察官で容疑者逮捕が第一な凛子ちゃん。魔法使いの弟子?としてゲート第一で、尊敬する操真晴人でもゲートを見捨てたら怒る瞬平くん。
小説版では、ミラクル瞬平&良きバディの凛子ちゃん。


輪島のおっちゃん

劇場映画で変身できてよかったね!昭和っぽい変身ポーズ!
描写は少ないけれど、罪悪感から晴人とコヨミちゃんに居場所を提供したり舞台裏では皆の面倒を見ていたんだろうな……


ソラ(グレムリン

淋しい男。黒幕の想定外の男その二。
人間とも、ファントムとも、ソラと同様その間にいる操真晴人とも交ざり合えなかった孤独な人。
人間に諦め、化物に諦め、間にいる存在にも諦めた結果それならまだ勝手知ったる人間でいる方がいいや〜〜と人間になる選択をしたのは納得。ただ、人間に戻っても居場所はないけど?まだマシってこと?

最終決戦が人間と化物の間の存在同士、ソラと操真晴人の対決だった。剣や鎧武に通じるものを感じたね………
35話(ソラの正体が判明する回)の相互不理解の演出が好きなのでありがたい。

ソラの本性が殺人鬼だと分かったシーン

ソラ「君とは仲良くできると思ったのに」
少し瞑目した後
晴人「すまないが断る」

晴人が拒絶を言葉にするまでに、少し逡巡するような間が空いているのが好き。ソラの淋しさに、自分と同じく人間でもファントムでもないその孤独に気づいたんだろうか。

仮面ライダー=相互不理解だと気づけたきっかけのこの二人。
人間と化物は理解し合えないし、その狭間同士の存在でも理解し合えない。理解し合えるのは、人間同士or化物が人間に添った形に変形した場合のみ。
英雄の孤独、そして相互不理解が仮面ライダーのテンプレートだから仕方ないね…


笛木、白い魔法使い、ワイズマン

全てを手のひらの上で操っていた男。
元々笛木が黒幕だとネタバレは食らっていたので白い魔法使いとワイズマンすべて同一人物では?と予想したら当たってた。
味方の師匠風な人も敵の親玉も全てひとりでこなすって大変よね…
娘を想う父。ただしやりすぎです。

メドゥーサと真由ちゃん

敵。そして信じていた人に裏切られた似た者同士。真由ちゃんを見下していたメドゥーサが裏切りに絶望して消滅し、真由ちゃん自身は裏切りを乗り越え前に進んでるこの相違よ〜
譲くんや山下さん、元一般人で魔法使いになってしまったキャラの代表格になっていった真由ちゃん。

門矢士

最終回にいつものBGM引っさげて登場した世界の破壊者。ジオウ客演といい登場するだけで番組がディケイドに変わる男。推しです。
脚本が會川さん(元々のディケイドメイン脚本家)で、恐らくウィザード最終回は実質彼のディケイド最終回案だったのでは?と考えつらつら書きます。

門矢士が恒例説教BGMで語ったこと。化物になる未来を恐れる少年に操真晴人が語ったこと。

  • 門矢士

弱い者を守る、正義のためではなく人間の自由のために戦う。

  • 操真晴人

俺の力が怪人と同じものだとしても、絶望を希望に変えて仮面ライダーになった。例え悪と同じ存在から生まれても仮面ライダーとなる者が生まれる。次々と。

悪魔と忌み嫌われても、例え正体が悪だとしても。絶望しても。記憶喪失の門矢士が善の存在…仮面ライダーとして人々の自由のため戦えば、悪じゃなく善の存在になれる。
という最終回になったのかもしれない。

今回は二話しか無いので簡潔なメッセージに留まっているが、會川さんがディケイドを続投していた場合↑のメッセージを面白く味付けした展開があったのかも。う〜ん見たかった!

リ・イマジネーション世界のキャラを大元作品のキャラ自身が救う、なんて展開はディケイド本編でもない。ウィザードで初めてだ…
ディケイド最終回嘘予告の如くもう一人の門矢士が現れて、リ・イマジネーションのツカサと大元の士が関係し合う物語だったのかも。私達がよく知る門矢士は果たして、ツカサと士…どちらなのか?

門矢士「俺達はいつでも旅の途中だ」…そう、仮面ライダーはいつでも側にいてくれる。助けを呼べば救いに来てくれる…ありがとう仮面ライダー






以上ウィザード感想でした。

2012年に絶望を乗り越えて前に進む事を描いた点とか
晴人&コヨミの両想い、恋愛を含まなくても最高の男女関係とか
仮面ライダーの十八番、相互不理解な晴人とソラとか
本来のディケイド最終回考察とか

得る物があった視聴でした!楽しかった〜


↓元記事
https://note.com/kagutachi01/n/n2df0da919be2

【noteから移行】仮面ライダーウィザード感想 物語編

(2020.10.27)


やっとウィザード見終わった!平成ライダー14作目!全53話+映画3本+小説。

さて感想。ちまちま書いてきた駄文まとめ。




目次

本編

放送は2012年9月から2013年9月。約一年一ヶ月。
2011年に放送したオーズの後半やフォーゼのハッピーで明るい雰囲気は共通してるけど「絶望を受け入れて前に進む」話。正直内容は暗い。

ただし時は2012年、2011年3月11日の東日本大震災から一年。震災を受け入れようとする姿勢に世間がシフトしていく時期だったのかも。さすがニチアサ、子どもに希望を与え行くべき道を示すニチアサ……

ゲートが絶望して怪人が生まれる設定上、ゲストキャラが絶望する暗い話が多くて中弛みもあったけど、↑の時代背景を鑑みると納得です。



夏の劇場映画

ウィザードの佳作部分として挙げられる夏映画。素晴らしい出来だった…


本編で不足気味だった操真晴人&コヨミちゃんコンビの最高な映画。互いに思いやる陰陽な二人。

この二人は恋愛でも兄妹でもどうとも取れる。
傍から見たら操真晴人が一方的にコヨミちゃんに魔力を与える不平等な関係性だけど、コヨミちゃんは魔力を与える事を存在意義にする操真晴人の脆さを理解してるし、理解した上で受け入れてそう。可愛いなこの二人…


二人の箱庭になりえる世界を少年と青年のために破壊する結末。
本編を思うと悲しい…外因に煩わされず二人を邪魔しないものに囲まれた世界ならきっと幸せになれるのに…

晴人「ファントムがいない世界ならコヨミに魔力全部あげられる」
コヨミ「全部は駄目よ。(晴人の好物の)ドーナツも買えないもの」

このやり取りが可愛くて何回も見返した。幸せそうに語る晴人と笑いながら返すコヨミちゃん。
両思いだ……可愛い…この映画で時を止めたかった…
(ただし脚本はサブの香村さんなので、もしかしたら恋愛的な意味合いでの映画かも)


登場人物のほとんどが仮面ライダーに変身していたのもよかった!
よく「ライダーに出演したんだし変身したい!」というメインキャラやおやっさんの中の人の話聞くもんね。


仁藤はどの世界でも変わらない。魔法がある世界ではどこでもキマイラ飼ってるっぽい。キマイラの副作用大変なのによくやるよ〜
どこでも明るくて前向きな兄ちゃんで、本当にこの物語における特異点だなと…
仁藤のキャラクター性が変わらないのは、彼のお婆ちゃんのもと厳しく優しい教育で生まれ育つ運命は変わらないから?


この映画の操真晴人がやってることって、とどのつまり「世界の破壊者」じゃねーか!52 53話で世界の破壊者の先輩門矢士と共演するのも納得よ。
芝居がかった振る舞いで強がって内側の脆い精神性を隠してる点も共通する二人。


MOVIE大戦

最終回後のMOVIE大戦は操真晴人→コヨミちゃんのメモリアル激重モノローグ映画だったね…………

「どんなコヨミでも受け入れる」ってそう簡単に出る言葉じゃないよ。敵の手で闇落ちしたコヨミちゃんを後ろから抱き締めて、あすなろ抱き!?どこのメロドラマ!!?!?
あと「 初めて会った時コヨミの存在に救われた」話は察してました。それを相手に伝えるとは思わなかったが…


瞬平くんが作った指輪から現れた晴人は未来の彼なのかな………コヨミちゃんを喪って間もない過去の自分のため、未来の彼自身にはもう遠い記憶となってしまったけど、過去の自分がまだ鮮明に心に刻み付けているコヨミちゃんとの思い出を守るため。ウィザード、というか操真晴人って頻繁にエモいムーブしてる………
(※小説版曰く、単にもう一人の現在晴人らしいです。無念)

「俺は希望の魔法使いだ。俺の希望(コヨミちゃんとの記憶)が溢れる世界で、俺が負ける訳ないんだ。」

最高の決め文句。出会いや別れから、クリスマスの買い物や面影堂での何気ない一時まで。全て操真晴人にとって大切なもの。
絶対に他人に奪われずコヨミ自身が幸せになれる場所として、自分の心の中の幸せな思い出を選ぶチョイスがすごい。


晴人→コヨミちゃんの想いって煩わしい外界要素、笛木とかファントムとかが無い方が強い。(2回目)逆に言えばそれほど純粋に愛している証拠。
これから他の誰を愛しても、きっとこの大切な少女への愛は心に残すんだろうな……


そして予想通りこの映画もサブ脚本・香村脚本だった……なんてこったい…


魔法石の世界(ウィザード最終回)

実質仮面ライダーディケイド、ウィザードの世界。すなわちウィザードのリ・イマジネーション(再構成)世界。

怪人になる未来を嫌って、世界を破壊してでも箱庭の外に出ようとした少年と少女の二人。兄妹のように育ち共に罪をおかしてでも希望を掴みたかった二人。
最後にこの二人の名前が「ハルトとコヨミ」だと明かされる。

本編では一緒にいられなかった運命共同体の晴人&コヨミちゃん。夏映画では二人で幸せにいられる箱庭を破壊して他者を救った。あらゆる点で晴人とコヨミちゃんの裏返しをしているこの子達…

ディケイドでさまざまな平成1期のリ・イマジネーション世界を描いていた會川脚本、流石再構成が上手い!
そしてここでも晴人&コヨミちゃんの関係性重視!


キャラクター文庫小説

待ってましたメイン脚本家による晴人→コヨミちゃんの描写!!!より強調されてた凛子ちゃんへの想い!!知ってた!!!!

メイン脚本家と他制作陣(現場やサブ脚本家)でヒロインが違った話あまりにも有名だもの……
確かに1話や、晴人と行動する凛子ちゃんのバディ感は良かったもの…ヒロインだったね…

操真晴人の解釈答え合わせ小説、または解釈そのままお出し小説。
大事な部分を抜粋しようと考えたけれど、そのために貼った付箋がびっしり本に付いているぐらい大事な話しかしてない。晴人の私小説かいな

要約すると

  • 人のために自分の想いを押し込めて我慢してしまう
  • 自分を守るために他人と一線引いている
  • 自分を許せるほど強くない、強がることでしか自分を保てない
  • 操真晴人自身が生きる事こそが希望、生きて両親やコヨミの思い出や想いを忘れないで持っていることが希望

このあたりが印象的

この小説、恋人=配偶者=パートナーたる凛子ちゃんと運命共同体なコヨミちゃん、二人への愛の貴賎を付けていないのが良い!
晴人自身も、周りのキャラもそれを当然のように考えている

私は恋愛>>>その他の愛とする世の中の風潮を憎んでいるので…大変ありがたかったですね…


凛子ちゃんと結婚してもコヨミちゃんへの想いは無くならないし、コヨミちゃんを心に留めながらも凛子ちゃんを愛してる。
それでいいんだよそれで……

操真晴人とコヨミちゃんが実の父娘に、血の絆で結ばれる!!と大はしゃぎしていたキバ大好き人間。
残念ながらコヨミちゃんが生まれ変わり晴人凛子夫妻の娘になる示唆で終わった…とほほ…




あとはキャラクター編!


↓元記事
https://note.com/kagutachi01/n/nb8119a020fb4

【noteから移行】はじめに

(2020.10.12)

これは続くかもしれない、続かないかもしれない、何しろ以前始めたブログも三日坊主だったので。

「この世界とは何か」をつかむ材料として、創作作品を使う人です。哲学の代わりのような。この苦しい世界を生きるために創作作品を糧にしようという訳で

読書記録や映画の鑑賞記録を付けるアプリはあるけどドラマやアニメの記録を付けるアプリはないなぁ〜(もしかしたら見つけてないだけかも)と始めた次第です。


自己紹介

特撮作品(主に平成ライダー)が好きで、その延長線でドラマを見たり、元々アニオタなのでアニメを見たり。漫画(大体BL)を読んだり。

BLを読むのでhnnmか!?二次創作BL好きか!?と疑われるかもしれませんが、同性愛作品を好むだけで作中にない関係性を深読みしません。深読みしてもここでは絶対に言いません。する場合はピクブラに行きます。

以上、よしなに


転載終わり。↓元記事です。

https://note.com/kagutachi01/n/n3e40d7c5b12a


今はニチアサにあまり興味がなくフラフラしてますが、ニチアサで得た考え方や嗜好は根付いてる気がします。

はじめに

初めまして、くりくらと申します。文才が欲しい一介のオタクです。

たまにぽつぽつnoteに書いてましたが、この度の騒ぎを見るにつけ引っ越そうと思い立ち、はてなブログを使わせていただく事にしました。

少しずつnoteの記事を移行していく予定です。


↓元々のnote

https://note.com/kagutachi01


しょうもない文章を偶に上げる程度ですが、よろしくお願いいたします。